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禅とオートバイ修理技術/ロバート・M・パーシグ


禅とオートバイ修理技術―価値の探究 (シリーズ精神とランドスケープ)

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昔読んでいたツーリング雑誌の中で評されていたこの本。機会があったら読んでみたいとずっと思っていて、いよいよ読んだ本です。長崎に行く前に読みました。原作者はアメリカのロバート・M・パーシグ氏で、本書による肩書きは「電気ショックを受けて記憶が飛ばされた無名の元大学教授」とのこと。「電気ショック??」とツッコミを入れたくなりますが、本書では前書きに、それは嘘だろという読者のツッコミに対して「本当だよ」と著者がわざわざ記しています。まぁ、いろいろあるんですかね。

物語は、オートバイでの旅と哲学の旅を交互に表しながらの展開。オートバイでの旅とそのオートバイを修理するという体験そのものの現実的な世界での旅と、自分がなくしたもう一人の自分、パイドロスを思い出す中での思索の旅。これを相互的に照らし合わせながらの物語が進んでいきます。で、なぜ故に禅とオートバイ修理技術なのかというと、これは著者の経験から得た類似性があるとのこと。著者が若い頃にベトナムだか朝鮮だけ(すいません1年前に読んだので、どちらかすっかりわすれてしまいました)での知り得た哲学的知見とオートバイの修理技術、すなわち今は(この本が書かれた当時も)ハイテクノロジーで構造も複雑で常人には手が出ないようになっているんですね。その挙句に故障するとすぐ捨ててしまう。そんなオートマティズムに抗う視座での修理技術という実践を、本書で言うところの「クオリティ」というテーマに沿わせているわけです。その「クオリティ」の追求が大学講義への話と繋がっていくわけですね。真理が一方的な教授ではなく「クオリティ」の追求であることを実践する著者は、教育における危険人物、異端児であると爪弾きされるという流れを辿るわけですが、この辺りは真理的でそれこそクオリティの高さを感じさせる内容であります。

と、私がこの本について説明できるのはここまで。途中から哲学的要素が絡んできて実はよく分かっていません。この本が難解だという話は前もって聞いていたので、かなり注意深く読んでいたのですが、哲学の話が出てきたところでプッツリ意味不明になってしまいました。哲学的は話自体には興味はあるんですが、哲学の専門知識は皆無でかなりきつかったです。ので途中からは無理繰り読みました。この本は何でしょう、哲学の本というか、オートバイのメカニズムの本というか、ノンフィクションなのか小説なのか。もっといろいろこの本について語れそうなんですが、私の力不足。ただ、面白いことは確かに言えますよ、この本。

さて、改めて私の解りやすいオートバイの視点から見てみますと、今やオートバイもテクノロジーが進んで、アクセルやブレーキもコンピュータ制御する時代なんですね。オートバー修理技術というのも、壊れたものを直すというよりは、部品交換が主で、メカニズムを知らなくても出来てしまうというのが実情のようです。そんな中、本書に出てくるような著者や修理屋のような人もいます。私が知っている修理屋は、自分のバイクは自分で直すというのが持論で、オートバイを修理にもっていくと、自分は手を出さず、私に指示して修理をやらせます。これで私も少しはオートバイについて学ぶことが出来ました。本当は自分でやるのが面倒くさいだけなのかもしれませんが。
それでも、時には壊れたパーツを、交換するのではなく、代用品で作り上げてくれたり、まさに禅とオートバイの写しのような修理技術を持っている方。オートバイの修理から哲学へ、実際にそう思わせてくれる方でした。最近は行っていないんですが、昔は話を聞くためにそのバイク屋まで走ったこともありました。するとご飯とかも奢ってくれるんですよ。

この本は私が購入した当時は絶版していて、古本も定価を下回ることはない人気本だったのですが、つい最近、はやかわ文庫から再販されたそうで、安価で手に入れられるようになったようです。オートバイに興味ある方、ちょっと手にとって見るのもいいかもしれません。


禅とオートバイ修理技術〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)

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