- 2008/04/04 23:59
- 本

カクレキリシタンの信仰世界
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こちらは長崎の旅の途中で読みました。といっても実際読んだのは、同じ著者の方が書いた新書で出されている「カクレキリシタン オラショ-魂の通奏低音」という本で、こちらの「カクレキリシタンの信仰世界」はつい最近手に入れて読みました。基本的に内容は同じものですが、前者は広くカクレキリシタンの現状について書かれていて、後者は逆にカクレキリシタンについて深く考察を進めています。いずれにせよ、カクレキリシタンについて書かれている数少ない本です。私が今までにHPで書いた隠れキリシタンについての記事はこれらの本を参考に書かせていただいています。
さて、カクレキリシタンについて記事を書かせていただいていますが、今回は今までとは別の視点から一つ。すなわちカクレキリシタンの民族宗教的な面からの本書の考察について。
まずは日本の宗教から。日本の宗教の特徴として本書ではまず多信的な面について言及。神道といえば八百万。きつねから人間や武器など様々なものが神として祀られています。仏教は仏教で祈りの対象はとてつもなく多いです。6世紀に日本に仏教が入る際、神仏習合という形態で定着した風習が今そのまま残っているわけです。それは寛容であり、折衷的であるといえるわけですね。
そこで忘れてならないのが、その何でも祀る、という祀るものは地域の伝承などに由来した様々なものである点。これはその多神教的信仰が地域に土着した民間信仰から派生していることが指摘できるわけです。
さらに、江戸時代の寺請制度が日本の民衆と仏教をつなげている訳ですが、では私たちが実際行っている仏教的行為というのは実はただ一つ、先祖に対する崇拝なんですね。もともと仏教とは修行によって煩悩を捨て悟りを開いて救われるものなのですが、実際のところ、みなさんそこに対して全く興味がないですよね。あとは正月とかに自分の願いを祈ること。いわゆる現世利益といわれる祈りです。平たく言ってしまえば、日本の宗教は寛容的で折衷的でやってることは先祖崇拝と現世利益の願いなんですね。
で、カクレキリシタンはというと実はこの法則にすっぽり当てはまってしまうんです。キリスト教といえば一神教ですが、カクレキリシタンは多神教です。先人も祀ればお地蔵様も祭ります。「隠れ」ていたキリシタンと聞けば、なにか悲劇的な響きから一途なキリスト教徒という印象を少なからず受けますが、実に日本的な宗教観を持ち合わせた日本の独特の宗教の1つであるといえるわけです。
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