- 2007/01/26 01:07
- 旅のトピック
続きです。
お昼を食べて向かったのは吉見百穴からほどない松山城址に向かいました。松山城は戦国時代難攻不落で謳われた城。この城址から南西に延びる城下町が現在の東松山市街。東松山とは愛媛にある松山市の東にある松山と言うことでつけられた名前。
かつて戦国時代は北条氏康、武田信玄、上杉謙信それぞれの前線として奪い合い幾たびの戦が繰り広げられた歴史の地である松山城だが、一見非常に目立たないただの丘に見える。本丸跡と描かれた柱が立つところには寺か神社があった形跡があるにとどまって、寒々としています。史跡というには全く手が入っていません。どこをどう見たら城になるのか攻めあぐねているところに、岩名さん(仮名)から土塁や堀などの的確なアドバイスを受けます。すると一見荒涼としたただの丘を見ているうちに城の全体像のイメージやこの城でどのような戦いが行われていたかということまでが喚起されてきます。まさにタイムスリップ、まさに目から鱗。この城は土を盛った土塁でできた中世の城とのことで、一般的に考える石垣の城というのは安土城建築以後の近世の城と分けられるそうです。岩名さんによるとここ松山城は古の城の形が綺麗に残っている日本でもなかなかない優秀な城址だとのこと。岩名さんは歴史に長けている旅のエキスパート。そういう人と一緒に旅が出来るととても旅が楽しくなります。
しばし中世の歴史浪漫に浸って次に訪れたのが箭弓稲荷神社。東武東松山駅を挟んで丁度吉見百穴とは対称の位置にあります。駅から歩いて5分弱。
こちら箭弓稲荷は力強い拝殿から末殿、神楽殿、元宮などなど一通り揃っているなかなか大きい神社。由緒は8世紀と古く、県でも6つしかない旧県社の社格を持っているこの地区では随一の神社。実は神社に社格という格付けがあったのもこのとき岩名さんに教えてもらいました。
お稲荷さんといえば狐です。なんでいなり寿司っていうかというと狐の好物が油揚げなんですってね。私はよくキツネ目と言われるのでキツネには妙な親近感があります。
てなところが、埼玉のどまんなか東松山と吉見を回った一日。帰路に池袋でお食事とお茶をして岩名さんとはお別れ。岩名さんには今回いろいろ教えていただき、埼玉再発見の旅。とかく遠くに行くことが旅である昨今でしっかり視点を持てば地元でも、無論どこでも旅を楽しむことができるわけです。旅の刺激をもらいました。またの再会を期して。
関連リンク
稲荷神社と豊作祈願-なぜお稲荷さんはきつねなのか
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