- 2008/11/26 23:59
- 映画

神々の深き欲望 [DVD]
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1968年。今村昌平監督作品。歴代で3人しかいないカンヌ国際映画祭のパルムドールを獲得した日本人の1人で、しかも唯一の2回受賞の巨匠。息子さんの作品は1度見たことがあるんですが、今回監督の作品ははじめて。本作がパルムドールの作ではないんですが、まずは期待をもって見させていただきました。主演は三國連太郎。河原崎長一郎、北村和夫あたりがわたしの知っている名前。40年前の作品ということで故人な方が多いです。元国交相大臣扇千景の名前も。そういえば元女優でしたね。
この映画についてまず語りたいのが圧倒的なパワー。ここ最近の映画には全くない類の力強さがあって、ぐいぐい引き込まれます。もう別次元ですね。凄い影響力。まずこれが第1印象。この映画3時間ほどあるんですが、こういう映画なら3時間は惜しくありません。
描かれていたのが人間のもつ社会性。コミュニティイズムというんですかね。そこから人間そのものへの追求。それを沖縄の島という舞台を借りて表現した、そう解釈してます。冒頭の島唄から、性を想起させるユーモア、人物設定と流れ、例えば島を出たい島人、他所から来て島にはまってしまう者、島の実力者という必要なパーツを用意して、その心情の変化で物語を展開させるところなどかなり唸ります。この構成力は見事の一言。島はみな兄弟という言葉にしっかり真実味を持たせつつ、そこから異端児を追い詰めて最後に殺してしまうという集団社会の持つ残酷さ、十人十色な人間たちが十人一色になるそのメカニズム。島一番の祭りに参加せざるを得ない群衆の声。最後のマスクを被って一人の人としてではなく、集団の一員となって人を痛めつけるところも色濃く出ていました。当然、親を殺せない息子はマスクを脱いで俯き咽ぶ。島のため、という集団のあり方と人とのかかわり方を考えるラスト。
「時代は変わった」というセリフが何度も出てきたんですが、実際は変わっていないんですね。今でも新時代を叫ぶことがありますが、今の人たちは文化も文明を進化を気取っていますけど、人間のやってることなんて大して変わっていないんですよ。集団心理とか人の追い詰め方なんて、全く一緒ですよね。今でも居るじゃないですか、ああいう社長に、会社のためだなんて働く人々。自分のためといえばそれはそれで素直だけどね。これこそ生きること。
名作ってのは変わらないものを描くんですね、それにしても。
そして神々について。沖縄や八重山の周辺離島の人柄についてクローズアップされることが多くなりましたが、この根幹に琉球信仰といわれる神に対する畏敬があることをしらなければいけないですね。私たちはとかく無神論とか不神論を唱えますが、実際のいかに生きるかという人生訓や教訓にはこういう思想が多く入っているものです。ほとんど無意識の中に宗教とはあるんですよね。映画では郷土愛と上手に説明していますが、この映画で描かれた沖縄というのは、私たちないと思っている、宗教性というものが色濃く出ています。ひたすら神に従うもの、神を信じないまでも宗教が社会故に、仕方なく従うもの、ノロを操る権力者。それにしてもその神が島の中心となり社会が形成されるわけです。神の許しがあれば人を殺すことも何も出来たんですね。
それにしても「神々」はどれを指していたのか。屋根から落ちたじいさんか、ノロか、ノロを操った権力者か、逃げた2人のアダムとイブか、それを殺した群集か。それともノロ継ぐべきあの少女か。まさに戯曲ですね。
それはそうと、本作が今村映画の傑作と呼ばれているそうですが、これをもし海外にもっていっても受けなかったでしょうね。多分「神々」って時点でだめでしょう。日本では当たり前の祖先崇拝はキリスト教圏にはない考えなので。
ロケ地は沖縄。波照間、石垣、南大東島などをあわせてあの「世界」を作ったようです。どのシーンがどの島か特定できなかったんですが、どうも御嶽は石垣島、ラストの汽車は南大東島のようです。あの汽車はサトウキビを運ぶ汽車で島を1周しているそうです。久部良割は与那国っぽいんですが、裏は取れてません。映画は68年、沖縄が日本領になったのは72年。アメリカ領当時の八重山の映像なんて貴重なんじゃないですかね。しかも、監督が初めてカラーで撮影した映画だったとのことで、そこも功を奏したのかなと。
実のところ、あまりに過激な描写で地元から反発もあったとのこと。確かに。
まぁ、その過激さに早く慣れて、3時間に耐えさえすれば、この映画が楽しめると思います。
評価 ★★★★★
- 新しい: 島の宿
- 古い: 日本有人最南端の島 波照間