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「君」へ送る手紙

帰ってまいりました。もう大分時間もたっていますが、予定通り月曜に帰ってきております。無事です。しまなみの途中の橋の上で突風に煽られて自転車が転倒したり、最後地元に戻ってきて自宅までの最後の1kmでタイヤがパンクしたりしましたが、無事です。最後の最後でパンクなんて、最後に尽き果てたといったところでしょうか。むしろ今まで無事に私を運んでくれて、ありがとうをいわなければいけませんね。
主だったトラブルと言えば上記ぐらいのもので、最初に立てた予定通り見たいものも見るべきものもすっかり見て来ました。天候も予報より良く、雨予報でも降らなかったり、たまたま自分がいたところでは降らなかったり(その数キロ近くでは降っていたり)、さすが雨のすくない瀬戸内気候。予定なしに雨が降っても、たまたま予定より早く移動していて雨を避けることができたり。おかげ様で合羽がただの重い荷物になりました。でも自転車旅ですからね、これはとても助かりました。丁度季節の変わり目を過ぎたみたいで、寒くなって風が強くなりました。向かい風はきつかったです。それと雪が降りましたね。

最後の旅と銘打った旅。そのとおり、この旅をしながら今までのことを振り返ったり、またはそこからあたらしい世界を導こうとしたり。その中で私が感じるのは、人はつくづく変わらないんだということ。私は2004年からさんざんなほど旅をしてきましたが、そのことで自分が変わったなんて思いません。旅をすることはすばらしいことです。時にはターニングポイントにもなる、間違いなくえがたい経験です。でも残念ながら旅とはかならず帰路があります。当たり前のことをいっているようですが、その旅という単純なシステムのことをいっているのではなくて、そこには大きな落とし穴があるということです。もちろん、私がこの旅でがっかりしたことの一つです。いや、旅は「してみるもの」、旅をすることそのものが得難いものなのだ、そう思います。

私は「世界」について意識します。世界とはその人の意識の及ぶ範囲、とでも言えるでしょうか。広かったり狭かったり大きかったり小さかったり、それは何人も持ち得るものであって、あの人にはあの人なりの、この人にはこの人なりの世界があるわけです。私には私なりの世界がもちろんあります。そして時に人の世界と自分の世界が重なります。時に、です。偶然か必然か、いろいろあるとおもいます。その重なりが世界の繋がりであって、人と人の繋がりです。世界がある人に向かって向けられたとき、時に世界が重なるとき、それを「思いは通じた」「心が伝わった」というわけです。時に世界は重なり、広がり、方向性を持ち、もちろん摩擦するのです。
わたしの頭の中が見せれるなら、見せたいのにと思います。人と人の繋がりは自然なものではありません。努力規定です。


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そして、僕は「君」を意識せざるを得ない。僕は人の気持ちが理解したいと思う。でも、それは口ほどに簡単じゃない。そのことにいつも躓いて、それでも求めてしまうもの。僕は「君」を求める。その「君」は特定の人なのか、その逆なのか、今、これを読んでいる君が「君」だと思うなら、それは君なのだと思う。
もう結論は出ている。私がこれまで真剣に取り組んできたこと。どうしなければならないか、もうその答えは出ている。



寝て忘れて、明日を待つ。太陽の恵みを受けて、旅を続ける。それを私は自分で手にいてたとは思っていません。それを与えてくれた何かに感謝をします。いい旅でした。
そして、やはり旅を終わらせたいと思います。もし今後いわゆる旅のようなものをするならば、それはきっと今までとは異なるもの。君を探す君との旅です。
時は移ろって、そして変わらぬ自分と君を得るために、僕の気持ちをこめて、君にこの手紙を丁寧に折りたたんで、君に届くように送ります。時空を超えるように、祈りを込めて。

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