- 2008/11/01 00:05
- 沖縄2008
話は遡ること4年前。日本一周のときに訪れた沖縄に私は驚きました。それまで北海道本州四国を渡っていた私は、沖縄に降り立ったときの、明らかに今まで訪れたちとは違う空気を感じたことを今でも思い出すことが出来ます。気候、空気の匂い、文化。一目瞭然のこれらの差に、ここは日本じゃないと思ったほど。私は日本地図に一つだけ線を引いて日本を分けなさい、といわれたら、迷わず沖縄本島の上に線を引きます。日本でありながら、日本でない。そんな沖縄が魅力的に写らないはずがないわけで、私が日本一周後に作った今後行きたい旅リストの中に入ったわけです。
これだけ魅力がある沖縄、それでも再訪に4年掛かったのは、強い契機と目的が欲しかったから。沖縄の青い海、オジィ、オバァ、三線、ゆんたく、そば、オリオンビール。これだけでも充分沖縄に行く理由になるんですが、もう少し沖縄に行って何をするのか決め手から行きたかったんですね。オジィと話すにしても何を話すのか、青い海を見るにしても青い海の何を見るのか。それを4年掛けて見つけた、というよりは単に4年掛かったというところです。
では実際沖縄で何をテーマにしてきたかというと、御嶽巡りをしてきました。御嶽というのは一言で言うと沖縄に古来から土着の宗教である琉球信仰の拝所ですね。ニライカナイ思想など独特であり、また古来からの流れを継いで今尚存在する琉球信仰、この沖縄の根底にある思想がいわゆる本土との考えの差異を生み出している一端であるとも言えます。旅の前半では本島の御嶽をめぐって、人々の信仰が国や社会にまで繋がっていく形をなした、国家レベルの御嶽を、後半の八重山では民間信仰としての御嶽を見て、できる限りそれにかかわる方々とお話をしてきました。
何が沖縄が特殊なのか、それはよくいわれる島々が散らばっている地理的な理由から政治的な理由など挙げられるわけですが、知ってか知らずか、沖縄には文化や社会、歴史をひっくるめた共同体として、見出すべき特殊性があるわけです。よく沖縄には言葉にできない魅力があると口々にいわれますが、この何が違うのかという答えを見出すため一つのやり方としての御嶽巡りであるわけです。
私は日本一周以降、お遍路をしたり、長崎でひたすらに教会などを見てきました。そこから見出したいのは、人の信仰、もっと砕けて言えば、人は何をどう信じているのか。私たちは様々なものに様々に興味を持ち、嗜好したり、知らずのうちに何かを好きになったり、その裏腹として嫌いになったりします。その理由の付けがたい、感情という存在があるわけです。
どうして人は人を傷つけるのか、どうして平和を求めているのに平和は訪れないのか、どうして人を傷つけたくないのに傷つけてしまうのか。その各々が持つ感情の軋轢として生まれる様々な摩擦。そのなかで私たちは生きているわけですが、どうもこれが私は知りたい。これは、ひいては私がいかに生きるか生きたいか、そのために人といかに生きていくかということのための、世界の広がりのためのお話です。
よくそんな答えの出ないことを考えても仕方がないと馬鹿にされるんですが、そんなことはお構いなし。そのとおり、カッコつけて遊んでいるだけです。ただ、いよいよこの年になって、こういうことが説明できるようになってはきています。今まで各地で見て来た信仰についての眼差しにさらに沖縄を加える。今までの旅の延長線上に確かに今回の旅があったのであります。
15日の旅の前半は本島で沖縄の創生伝説に関わる琉球開闢七御嶽とその根本思想のニライカナイに関わる神の島と呼ばれる久高島を、後半は御嶽の原型を求めて波照間島の御嶽と竹富島の六山を見に行きました。もちろん、酒も飲みましたし、海にも入りました。
あくまで目的はそこにあるというだけで、別に研究者でもありませんから、そのあたりはあくまで遊びです。真剣な遊びです。時期的にもちょうど沖縄の本場の夏も味わえる。それでいて目的も出来た。そこで満を持して沖縄、となったわけです。
- 新しい: 涙そうそう
- 古い: 沖縄文化論/岡本太郎
コメント:0
トラックバック:0
- この記事のトラックバック URL
- http://www.helloalive.com/blog/1110/trackback
- トラックバックの送信元リスト
- なぜ沖縄に行ったのか - 茜食堂 より


