- 2008/11/15 00:00
- 沖縄2008
御嶽です。私が見た見たといっている御嶽とは何ぞや、と。
一口に言うと、神様を拝む場所。豊年祭や豊漁祭、お盆など年中行事を行う場所でもありますね。神様を信じている人にとってはその生活すべてが神に見守られて生きていると思っているので、その祭事は多くは神に対しての捧げものであるともいえるわけです。当然、御嶽が舞台になるわけです。基本は祭事を司るノロが管理している場所であります。元は男子禁制であったとも言われていますね。
竹富や石垣の御嶽を見ると、その入口に鳥居が出来ていて、その先に小さい建物がある。どうもこれが御嶽なのだと見れるわけですが、鳥居が付けられたのは明治以降、皇民化政策以後なのだそうです。明治新政府は天皇を神の子として、それを沖縄の御嶽に習合的に鳥居を付けさせたと思っていいのだと思います。
大本の御嶽というのは、鳥居どころか、その本殿のような建物すらなく、ただ香炉だけが置いてある場所だったといわれています。ただの森の中にちょこんと香炉が置いてある、それが御嶽であったと。実際にそういう御嶽もまだ残っていて、見ることが出来ます。日本の神社といえばどれだけ建物が大きいか、ということがその栄華を見せる物差しとなっていますが、大本はこうだった。そういうものが見えるわけですね。ちなみに御嶽には神社で言う御神体や寺にあるご本尊という類のものはありません。その場は神と交信する、繋がる場として存在しています。といってもただその場所を選んだのではなくて、例えば昔、それこそ古来から祖先が住んでいた場所であったり、神との交信を担っていたノロの墓などを御嶽として選んでいるようです。
御嶽はその中心に建物があったりなかったり、香炉やイビと呼ばれる祠のような石が置かれていますが、厳密にはその場のみを御嶽としているのではなく、そこを中心とした木や森などすべてを御嶽としています。また、久高島などは島全体がその対象となって、近年まで人は一定区域以外は入ることが出来なかったというところもあります。こういうところはアミニズム、いわゆる万物に魂が宿っていること、を見出すことが出来るわけです。また、沖縄の人々にはみなで護る御嶽のほかに自分たちの家だけの御嶽というものあったりして、歩いているとふと大きなガジュマルの木の下にちょこんと香炉が置いてある、そんな御嶽を見つけたりします。この原型を御嶽に見出すことが出来る、というわけです。
でも、実を言うとこれが厄介。鳥居があったり観光地化されている御嶽なら場所がわかるんですが、事前に調べていてもたどり着かなかった御嶽が多数あったりしました。もともと見せ物でなく、何をされるかわからないとくれば、当然教えてくれません。これは旅人に関わらず、他の集落、他の家の御嶽には関わらないという考えがそもそもあったり、または他の御嶽を荒らしたりすると、自分の家に災いが起こると考えたり。よくガイドブックや建て看板に、御嶽に不用意に立ち入るなと書かれていますが、それはこういう理由からですね。私も立ち入るなというところには入りませんでしたし、あくまでちゃんと入っていいか聞いてから入りました。あくまで聞いて話ですが、とある島では入ってはいけない御嶽に入った旅人がその日に骨折して島から追われたという話も聞きました。信じる信じないはその人次第ですが、島の人の心を踏みにじる行為であるという自覚はしたほうがいいでしょうね。入る必要がないなら入らないほうがいいですよ。
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