- 2008/11/29 00:00
- 沖縄2008
波照間の次にいったのが竹富島。こちらも4年前からの再訪となります。前回は日帰りだったので、今回は泊まりで。日帰りで見ただけで、島の良し悪しを判断してしまうのはと思って。特に竹富は日帰り客が多い。石垣から高速船で10分と手軽に来れる島で、昼間はかなりの日帰り客でごった返すんですよね。なので、人が捌けた後の竹富をゆっくりじっくり見たかった、というわけです。なんだ、いったことある島ばかりいっているじゃん、と思ったそこのあなた。そのとおりです。旅をする人は一度いったところはいかない、と声高におっしゃる人もいますが、4年ぶりでしたから、また見たくなったんですよ。いいところは何度行ってもいいものです。
竹富と言えば勿論あの赤瓦の集落の景観。あの景観は国指定の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、誰もが認めるすばらしき景観。その景観が一望できるなごみの塔には列が作られていました。さすがに登るのに並ばなければならないというのはビックリしましたが、シーズンだし仕方のないことかな、と。ですが、夕日の時間の西桟橋にはちょっと辟易しました。もうフェリーがない時間帯なのに、まるで竹富中の人が集まってきたかのように人がわらわら。確かに、一日のハイライトなんですが、これだけ人がいるとちょっと雰囲気はないですね。前にここに来た時は冬で、こんなに人いなかったんですがね。
さて、そんな竹富島の御嶽。竹富では六山(ムーヤマと読みます)を中心に御嶽を回りました。六山とは竹富を収めていて酋長を祀った御嶽。種子取り祭を行う世持御嶽や、西塘御嶽などはここに含まれません。西塘といえば竹富島を世界遺産に登録された園比屋武御嶽や首里城の城壁修復をした建築者で後に八重山の総支配を任せられた地元の英雄。それでも六山には入っていないんですね。
八重山は琉球王朝に征服されるまでは自治で平和に暮らしていたといわれています。司馬遼太郎に言わせると、楽園のような生活だった、というわけです。そこに琉球王朝の征服が入り、後に八重山は人頭税に代表される重税に苦しむことになります。
西塘が確かに地元の英雄であっても、琉球王朝支配の後の方。六山に祀られている酋長は、すべてそれ以前の方々。そこに地としての竹富の誇りを見る次第です。
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- かつての楽園の島 竹富島 - 茜食堂 より


