- 2007/11/10 00:11
- 函館2007
函館大門。こちらを散策してみました。JR函館駅を北端に南の太平洋岸まで南北に伸びる道路を中心にした地域が大門地区ですね。
大門と名のつくところ、いわゆる遊郭、色町ですね。明治大正時代、遊郭というのは隔離されていたんですね。門があって、そこからしか遊廓には出入りが出来なかったんです。だから大門。明治初期から交易で栄え出す函館にもその大門が出来たということ。実際函館の大門遊廓は明治40年の大火の頃から出来て、昭和9年の大火で消失したとのこと。その後も大門地区はいわゆるカフエーやバーが引っ切り無しに立ち並んでいたそうです。
大門には上の写真の大通り周辺に、音羽通、柳小路、高砂通、大門仲通、京極通、広小路、菊水小路、祇園小路、浅草小路と名づけられた大小の小路があって、その道に呑み屋やいろいろな店が並んでいたとのこと。函館は戦後も北洋漁業で潤っていて、男たちが、北洋漁業の永い旅の疲れをここ大門で癒していた、というわけです。
写真はぎおん小道。遊廓というのは江戸時代からあるわけですが、函館が栄えて大門が出来たのは明治の後のこと。寄せ集め的な名前がまた北海道的な思想を感じさせます。
ですが、北洋漁業は各国が漁業領域権を主張し始めた1976年を境に急激に衰退し、函館の経済も北洋漁業とともに勢いをなくしこの大門も盛り場としての力を失い始めます。さらに80年代に来るモータリゼーション、車社会の到来で街の経済の中心は大門から函館産業道路沿いに移り、大門はさらに衰退していきます。それから大きな再開発も行われず、ここ大門地区の街並みは、言うなれば昭和50年から形を変えずにそのまま現在まで残っている街なのです。
ちなみにですが1976年というと、私が生まれた年。その頃から変わらない街並みを見せてくれる大門。かつてのちょっとした淡い栄華と、残酷さを感じながら私は大門を歩きます。
ちなみにですが、1976年の函館にもう一つ象徴的なものが作られています。函館ドックのあのゴライアスクレーンですね。作った直後に北洋漁業が衰退し、ほとんど使われないまま30年という月日がたったクレーンは、現在取り壊しが決定しています。
何とも味のある裏通り。
この中には公衆電話がなく、なぜか壊れたテレビが2台。
なんかGLAYと関係のあるレコード屋だそうで。
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