- 2007/05/22 01:45
- 長崎2007
フランシスコ・ザビエル(1506-1562)。言わずもがな日本にキリスト教を最初に布教した方。インド布教からマカオに渡り、1549年、鹿児島に上陸した彼は、その後平戸、山口、京都と渡り日本にキリスト教の種を蒔いたわけです。その後インドに戻ったところで昇天されています。
さて、このザビエルがイエズス会の一員なのは中学生でも知っていることですが、ザビエルを皮切りに多くのイエズス会の外人が日本を訪れることになります。このイエズス会とは何だろうか、と。布教をしに来たのは言うまでもないのですが、今一歩懐に入り込んで話を進めてみます。視線は長崎から西洋史へ。
イエズス会は1540年創立。この時期のヨーロッパは宗教改革真っ盛りでした。ルターなどがそれまでのカトリックの宗教活動を批判、腐敗したカトリック(普遍)へのプロテスタント(抗議の意味)。これが宗教改革です。当時カトリックは不当な形でお金を巻き上げたりしていたのですね。というわけで宗教改革はヨーロッパ全土に広がります。
カトリックももちろん黙っていません。そこで建てられたのがイエズス会。このイエズス会はカトリックの内部改革の組織でありました。反宗教改革という名の活動をヨーロッパでする一方でイエズス会が行ったのがアジアと昨今見つけたアメリカ大陸への布教活動だったのです。これには新しい地域の獲得=植民地化という壮大かつ実際に世界を席巻する活動であったわけです。その日本への先鋒がザビエルだったというわけです。
日本がこの植民地化の波にさらわれなかったのは、秀吉がこの植民地化政策に気づいてキリスト教徒に迫害を加えたこともありますが、ヨーロッパの興味がアジアよりアメリカ大陸に向いたこと、それとカトリック国で当時制海権を握っていたスペイン(当時無敵艦隊といわれていましたね)が1588年アルマダの海戦でイギリスに負けて主役が代わったことも大きいかと思います。イエズス会自体が衰退したこともありますね。ま、日本は遠かったんでしょう。でもって幸か不幸か徳川幕府の鎖国で日本は世界史から姿を消すわけです。250年も。
そこで長崎が唯一の貿易港として機能することはご存知だとは思いますが、これ自体は実はたいしたことありません。ここまでのお話で言えば長崎はおまけみたいなものです。本当に長崎が主役に立つのは幕末のお話です。次回はそのお話。
ちなみにですが、17世紀の貿易は平戸が担っていました。それがいつの間にか長崎へ。どうしてだと思います?
イエズス会と平戸の仏教徒が喧嘩したんですね。平戸沖で海戦もしたらしいんですが、平戸側は叩きのめされそうです。挙句にイエズス会は平戸に寄り付かなくなったと。その喧嘩の中身がなんでも仏教対キリスト教の宗教論争で、キリスト教ではタブーとされる同性愛を貶されて日本側が起こったとかどうとか。ともあれこれで平戸は世界史から姿を消すわけです。
ちょっとした小話です。
- 新しい: ちょっと賢くなる長崎学(2)-キリスト会派
- 古い: 残留
コメント:0
トラックバック:0
- この記事のトラックバック URL
- http://www.helloalive.com/blog/1009/trackback
- トラックバックの送信元リスト
- ちょっと賢くなる長崎学(1)-ザビエルのお話 - 茜食堂 より

